今日はたくさん買い物をした。
「カフェーと喫茶店」(INAX出版):これはここの資料用。
井伏鱒二「晩春の旅|山の宿」(講談社文芸文庫):これはお楽しみ。
David Byrne「REI MOMO」:なんとなく。
で、部屋の蛍光灯を買うのを忘れた。だから今、闇の中でこれ書いてる。
ボントンだのヒットパレットだので、ひたすら
ルネ=ドーマル「類推の山」(河出文庫)を読む。これは面白い。
一口でいえば「登山哲学小説」なのだが、重要なのは「登山哲学」ってのが
「登山を哲学する」のではなく「哲学を登山する」という意味であること。
私は山について語るのではなく、山によって語るだろう。
この言語としての山によって、地を天に結ぶ道であるもう一つの山のことを語るだろう
-あきらめるためにではなく、ふるいたつために語るだろう。(本書より)
この小説の中では、「語る」と「登山」、「考える」と「登山」は同じものである。
ここで目指されるのは、「マッチョな脳」がハーケンやピッケルを振り回して
がしがしと岩肌をよじ登るように「語る」「考える」ことだ。
だから登場人物たちは決して反省したり苦悩したりなんかしない。
絶壁にしがみついてるときにんなことしてたら落ちるもんね。これは元気出る。
(ストーリー物のマンガなんかは、大半が「あきらめるために語られて」いる。
「女」でも「冒険」でも「サクセス」でも「人情」でもなんでも、とにかく
「現実にはかなえられない夢を...」とかやってるだけ。元気出ないよね。あー。)
この話、奇想科学小説としてもなかなか面白くて、アルフレッド=ジャリの
「超男性(マレニ、書評しなさい)」を彷彿させるような変な機械とかも出てくる。
作者の死によって中断されているが、ここまででも十分良い本なので皆読め。
帰ってくると留守電が入っていた。
再生すると、知らん男の声で「もしもし?あれっ...」とかいって切れている。
デフォルトの人工音声に戻すやり方がわかんないので、今うちの留守電には
メッセージが入っていないのだ。だからいきなり「ピー」っていうだけ。
みんなたいてい、わけわかんないからそのまま切ってしまう。やれやれ。
たぶん履歴書送ったとこのうちのどっかだろうなー...
留守録解除したとたん、うちの母と杉元から立て続けに電話かかってきた。
杉元もDOS/V機を入手した由。うん、だましてLINUXをインストールさせよう。
昨日の夜は室温25度くらいで割と過ごしやすかったのじゃが、
今日は28度くらいある。死にそう。でも冷房は使わないのじゃ今年は。
夏を乗り切るためにお酒も(一人では)飲まないようにしているのだが、
そうしていると唯一の依存物質であるコーヒーへの欲求が高まって
喫茶店の前で豆の匂いがするとついふらふらと入ってしまうのであった。
このBBSへのゲストアクセスが、ここんとこちょっと増えてる。
大体一日数件だったのが、7〜8件くらいになってるかな。
しかしやっぱり誰もエリツィンの後には書き込んでくれないのお。